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政策の立案や遂行には、関係する当事者から真摯(しんし)に意見を聞き、向かい合うことが欠かせない。そうであるはずなのに環境省の対応は、この基本や思いやりを欠いている。
これでは、心ある政策を実行できるとは、到底思えない。患者・被害者らが環境省の対応に不信感を抱くのは当然である。
伊藤信太郎環境相と水俣病の患者・被害者らとの懇談の場で、環境省が3分の持ち時間を超えて発言する参加者の話を制止し、マイクの音を切る、という出来事があった。
粗雑で乱暴な対応である。懇談とは名ばかりで、そもそも話を聞く気がなかったのではないか、と疑わざるを得ない。
しかも環境省は「以前からこうした運用をしていた」と説明した。事実であれば過去にさかのぼって謝罪すべきである。
懇談は、5月1日の犠牲者慰霊式の後、熊本県水俣市で開かれた。水俣病患者らでつくる8団体と伊藤氏らが出席した。
環境省は、発言の持ち時間を1団体3分としていた。団体側の発言中、3分が過ぎた後、発言者の2人のマイクの音が切られ、その後回収された。
もっと異なる対応を取るべきだった。際限なく話を聞くということではないが、3分では短すぎる。
林芳正官房長官は5月7日の記者会見で、「関係者の意見を丁寧に聞く重要な機会に、不快な気持ちにさせてしまい、適切だったとはいえない」と述べ、8日には衆院内閣委員会で、「政府としておわび申し上げたい」と表明した。
伊藤氏は同省事務次官と環境保健部長を厳重注意し、「水俣病は環境省の原点」と述べた。同日、水俣市を訪れ、発言をさえぎられた2人に謝罪した。
後手に回った印象を免れない。伊藤氏は当初、「マイクを切ったことを認識しておりません」などと釈明したが、音が切られたことはその場で認識できたはずだ。進行を官僚に任せきりで、会議に出ているだけなら閣僚の職責は果たせまい。
水俣病は公式確認から68年がたったが、国に補償を求める裁判が複数継続し、解決には至っていない。
環境省は、懇談の場を再度設けるべきだ。対話の大切さを肝に銘じ、政策を遂行しなければならない。
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2024年5月9日付産経新聞【主張】を転載しています